事件名 :アミノシリコーンによる毛髪パーマネント再整形方法事件
事件種別 :審決取消請求事件
事件番号 :平成22年(行ケ)第10109号
対象案件 :特願2002-100506号
判決日 :平成23年2月28日 (拒絶査定不服審判 拒絶審決→審決取消判決)
【争 点】
本願発明の効果の差について、具体的な比較実験データ等が示されていない場合に、特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものといえるかどうか
関係条文:特許法第36条第6項第1号
キーワード:「特許請求の範囲」に記載された本願発明が、「発明の詳細な説明」に記載・開示された技術的事項の範囲のものであるかどうか
【特許庁の判断・主張】
本願明細書の発明の詳細な説明には、「還元処理においてアミノシリコーンを含有する還元用組成物を毛髪に適用する場合」(従来技術)と「還元処理の前に前処理剤としてアミノシリコーンミクロエマルジョンを含む前処理用化粧料組成物を適用する場合」(本願発明)の効果の差について、具体的な比較実験データ等が示されていないので、本願発明が従来技術に比べて解決すべき課題を達成したものであるか否かが不明であると判断した上、請求項1ないし9記載の発明は、発明の詳細な説明の記載により、当業者がその発明の課題を解決できると認識できる範囲のものとして記載されていないから、請求項1ないし9の記載は36条6項1号の規定に適合しないと判断しました。(波線は筆者付記)
※上記のように判断した前提として、本願明細書の【0004】ないし【0010】に記載の従来技術が考慮されたようです。以下の枠内の記載は特許庁の判断の抜粋です。
本願明細書の【0004】ないし【0010】の記載によれば,従来技術は,毛髪の劣化を防ぐために,還元処理に用いられる還元用組成物にアミノシリコーンを含有するものであったが,それでは,カールの度合い,質及び快適さが不十分かつ短命であり,その原因は,アミノシリコーン等が還元剤の活性を阻害することにあるようであった。そのため,本願発明は,毛髪の劣化を防ぎ,かつカールの度合い,質及び快適さを十分とし,短命でなくさせることを課題とする。
【参 考】 本件出願の請求項1
[請求項1] (i)ケラチン繊維に対して還元用組成物を適用する作業;及び,(ii)ケラチン繊維を酸化する作業を少なくとも含み,更に作業(i)の前に,当該ケラチン繊維に対して,化粧品的に許容される媒体中に数平均1次粒子径が3乃至70nmの範囲の粒子を含むアミノシリコーンミクロエマルジョンを含む前処理用化粧料組成物(但し,非イオン性両親媒性脂質を含まない)を適用することを特徴とする,ケラチン繊維のパーマネント再整形方法。
【裁判所の判断】
これに対し裁判所は、「①本願発明について、『還元処理の前にアミノシリコーンミクロエマルジョンを含有する前処理用化粧料組成物を毛髪に適用して前処理をし、その後アミノシリコーンを含有しない還元用組成物により還元処理をする』との構成に係る発明であると限定的に解釈したと解される点、②『前処理をせずに、アミノシリコーンを含む還元用組成物により還元処理をした従来技術』とを比較した場合の本願発明の効果が示されていないと判断した点、及び③本願発明1ないし9について、『特許請求の範囲』の記載と『発明の詳細な説明』の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識し得る範囲のものであるということはできないと判断した点に、誤りがある。」として、特許庁がした審決を取り消しました。
下記は裁判所の判断の抜粋であり、重要と思われる箇所を赤字としました。
1 はじめに
36条6項1号は,「特許請求の範囲」の記載は,「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」を要するとしている。同条同号は,同条4項が「発明の詳細な説明」に関する記載要件を定めたものであるのに対し,「特許請求の範囲」に関する記載要件を定めたものである点において,その対象を異にする。・・・。もし仮に,「発明の詳細な説明」に記載・開示がされている技術的事項の範囲を超えて,「特許請求の範囲」の記載がされるような場合があれば,特許権者が開示していない広範な技術的範囲にまで独占権を付与することになり,当該技術を公開した範囲で,公開の代償として独占権を付与するという特許制度の目的を逸脱することになる。36条6項1号は,そのような「特許請求の範囲」の記載を許さないものとするために設けられた規定である。したがって,「発明の詳細な説明」において,「実施例」として記載された実施態様やその他の記載を参照しても,限定的かつ狭い範囲の技術的事項しか開示されていないと解されるにもかかわらず,「特許請求の範囲」に,「発明の詳細な説明」において開示された技術的範囲を超えた,広範な技術的範囲を含む記載がされているような場合は,同号に違反するものとして許されない(もとより,「発明の詳細な説明」において,技術的事項が実質的に全く記載・開示されていないと解されるような場合に,同号に違反するものとして許されないことになるのは,いうまでもない。)。
以上のとおり,36条6項1号への適合性を判断するに当たっては,「特許請求の範囲」と「発明の詳細な説明」とを対比することから,同号への適合性を判断するためには,その前提として,「特許請求の範囲」の記載に基づく技術的範囲を適切に把握すること,及び「発明の詳細な説明」に記載・開示された技術的事項を適切に把握することの両者が必要となる。
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2 審決の理由について
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(2) 審決の理由の不備について
要するに,審決は,特許請求の範囲の請求項1・・・「還元用組成物を適用する作業」における「還元用組成物」の意義について,「アミノシリコーンを含有しない還元用組成物」と限定的な解釈を施した上で,発明の詳細な説明中には,アミノシリコーンミクロエマルジョンを含有する前処理剤により前処理した実施例は記載されているものの,前処理をせず「アミノシリコーンを含有する還元用組成物」により還元処理をした従来技術に係る比較例は記載されておらず,そのような従来技術との比較実験データは記載されていないから,特許請求の範囲に記載された発明は,発明の課題を解決できると認識し得る範囲のものであるということができない,と判断したものである。
しかし,「還元用組成物を適用する作業」における「還元用組成物」は,「アミノシリコーンを含有しない還元用組成物」と限定的に解釈することはできず,また,本願発明に係る「特許請求の範囲」は,本願明細書の「発明の詳細な説明」に記載されていると理解することができるから,本願発明1ないし9の請求項の記載は36条6項1号に適合しないとした審決の判断には,誤りがある。その理由は,以下のとおりである。
3 特許請求の範囲(請求項1)の「還元用組成物を適用する作業」における「還元用組成物」の意義について
(1) 特許請求の範囲の記載
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本願発明は,パーマネント再整形における還元処理の前に,「当該ケラチン繊維に対して,化粧品的に許容される媒体中に数平均1次粒子径が3乃至70nmの範囲の粒子を含むアミノシリコーンミクロエマルジョンを含む前処理用化粧料組成物(但し,非イオン性両親媒性脂質を含まない)を適用すること」との前処理工程を付加した点において,特徴を有する発明である。
特許請求の範囲には,「還元用組成物を適用する作業」における「還元用組成物」について,アミノシリコーンを含まないとの限定文言は一切ない。したがって,「還元用組成物」は,「アミノシリコーンを含まない還元用組成物」に限定解釈される根拠はない。
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(2) 本願明細書の参酌
上記の解釈に対して,「還元用組成物」を,アミノシリコーンを含まない還元用組成物に限定して理解すべき特段の事情があるか否かについて,念のため,本願明細書の記載を検討する。
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本願明細書の記載を参照してもなお,「還元用組成物を適用する作業」における「還元用組成物」がアミノシリコーンを含まない還元用組成物に限定されるとする根拠はないと解すべきである。
4 36条6項1号への適合性
以上を前提として,本願発明の36条6項1号への適合性について,検討する。
「特許請求の範囲」の記載と「発明の詳細な説明」の記載とを対比し,「特許請求の範囲」に記載された本願発明が,「発明の詳細な説明」に記載・開示された技術的事項の範囲のものであるか否か,すなわち,還元処理の前にアミノシリコーンミクロエマルジョンを含有する前処理用化粧料組成物を毛髪に適用して前処理をし,その後還元用組成物により還元処理をするとの本願発明が,アミノシリコーンを含有する還元用組成物により還元処理をするという従来技術と対比して,毛髪の劣化の程度の緩和等の作用効果を実現し,課題を解決し得ることが,「発明の詳細な説明」に記載・開示されているか否かについて,検討する。
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(3) 「特許請求の範囲」の記載と「発明の詳細な説明」の記載との対比
ア 前記(2)の本願明細書の記載によれば,実施例1では,「アミノシリコーンミクロエマルジョンを含む前処理用化粧料組成物による前処理をせず, DV2 で還元処理した比較例(実施例1では「先行技術」と表示される。)」と,「アミノシリコーンミクロエマルジョンを含む前処理用化粧料組成物により前処理した後,DV2 で還元処理したもの(実施例)」の比較結果が示され,本願発明による前処理を施したことによる効果が得られた旨の記載がされている。
本願明細書中には,DV2 がアミノシリコーンを含んでいるとの明示の説明はされていない。仮に,DV2 がアミノシリコーンを含まないものであると認識されるならば,実施例1における比較例は,アミノシリコーンを含む還元用組成物を用いて還元処理したもの(従来技術)でないから,「本願発明の実施例」と「従来技術に該当するもの」とを対比したことにはならず,本願発明により前処理を施したことによる効果を示したことにならない。審決は,この点を理由として,実施例1の実験は,比較実験として適切なものでないと判断する。
しかし,審決の同判断は,妥当を欠く。すなわち,前記のとおり,本願発明の特徴は,先行技術と比較して,「アミノシリコーンミクロエマルジョンを含む前処理用化粧料組成物(但し,非イオン性両親媒性脂質を含まない)」を適用するという前処理工程を付加した点にある。そして,①特許請求の範囲において,前処理工程を付加したとの構成が明確に記載されていること,②本願明細書においても,発明の詳細な説明の【0011】で,前処理工程を付加したとの構成に特徴がある点が説明されていること,③本願明細書に記載された実施例1における実験は,前処理工程を付加した本願発明と前処理工程を付加しない従来技術との作用効果を示す目的で実施されたものであることが明らかであること等を総合考慮するならば,本願明細書に接した当業者であれば,上記実施例の実験において,還元用組成物として用いられたDV2 が「アミノシリコーンを含有する還元用組成物」との明示的な記載がなくとも,当然に,「アミノシリコーンを含有する還元用組成物」の一例としてDV2を用いたと認識するものというべきである。
・・・
イ また,実施例2,3においても,アミノシリコーンミクロエマルジョンを含有する前処理用化粧料組成物を毛髪に適用した場合とそうでない場合が比較され,本願発明の効果が示されているということができる。
【コメント】
第36条第6項第1号のいわゆるサポート要件については、平成17年の大合議判決(知財高判平成17・11・11「偏光フィルムの製造法」事件)で、一定の基準が示されました。しかし、本件は必ずしもこの基準には沿ったものとはいえません。
本件に先立ち、知財高判平成22・1・28「フリバンセリン」事件(飯村判決)において、上記基準とはあたかも対立する判断がされております。本件はこの裁判例の影響を受けていると思われます。
最近の裁判例では、上記大合議判決に従うものや「フリバンセリン」事件に従うものがあり、いずれの基準に従うのが妥当であるか不明な面が多いように思われます。記載不備は、当事者の主張や時代によりその解釈が変わり得ると思われます。今後の裁判例について引き続き注目していく必要があると考えます。
さて、本件ですが、第36条6項1号への適合性について、下記のような基準を示しその当てはめを行っている点に注目すべきといえます。
「特許請求の範囲」の記載と「発明の詳細な説明」の記載とを対比し,「特許請求の範囲」に記載された本願発明が,「発明の詳細な説明」に記載・開示された技術的事項の範囲のものであるか否か
36条6項1号への適合性を判断するに当たっては,「特許請求の範囲」と「発明の詳細な説明」とを対比することから,同号への適合性を判断するためには,その前提として,「特許請求の範囲」の記載に基づく技術的範囲を適切に把握すること,及び「発明の詳細な説明」に記載・開示された技術的事項を適切に把握することの両者が必要となる。
また、そもそも本件の問題は、本願明細書においての従来技術の内容でその課題が誤って解釈されたことに起因します。つまり、従来技術の内容と課題の内容と、そして、実施例による効果の確認には、整合性を持たせるべきといえます。
(アミノシリコーン含有の還元性組成物を開示する文献として、日本国特許出願H2-250814およびH9-151120が挙げられており、その問題点が記載されていた。)
・補遺
ここで、「偏光フィルムの製造法」の大合議判決及び「フリバンセリン」事件の判決において、サポート要件に対するそれぞれの判断を参考に示します。
「偏光フィルムの製造法」の大合議判決
サポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と詳細な説明の記載とを対比し、請求の範囲に記載された発明が、詳細な説明に記載された発明で、詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである。
「フリバンセリン」事件の判決
法36条6項1号の規定の解釈に当たっては,特許請求の範囲の記載が,発明の詳細な説明の記載の範囲と対比して,前者の範囲が後者の範囲を超えているか否かを必要かつ合目的的な解釈手法によって判断すれば足り,・・・同条4項1号の要件適合性を判断するのと全く同様の手法によって解釈,判断することは許されないというべきである。
なお、「フリバンセリン」事件の判決以降、「偏光フィルムの製造法」の大合議判決は、複数の変数(パラメータ)を用いた数式により示される範囲で特定した物を含む発明であり、請求の範囲が特異な形式で記載されている場合に適用されるだろうといわれていますが、厳密に区別されてはいないような印象があります。